接続された男
1993年3月4日


1993年3月4日

	ばくだんがウメク
	ばくだんがワラウ

	今日から本格的に栄養剤(エレンタール)の注入が始まるはずである
	昨日一回パイプを胃まで通した。痛くはないが気持ち悪い
	のどを細いものがとおるというのは
	あのままたぶん三日も過ごさなくてはならない
	くしゃみしたら、せきしたら、どおなるのだろう
	あのままゴハンは食べられるのだろうか

	 あこがれの入院生活
	 たっぷりある時間

	笑わせるな

	通過儀礼?
	それにしては重すぎませんか?

	生きるために
	ただそれだけのために

	 いっぱい仲間はいる 
	  (なぜみんな同じような年齢なんだろう)
	 自分だけつらいのではない
	 
	今までの自分にさよならを
	さあ
	新しい世界へ


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1993年3月5日

	エントリーフラックスチューヴを鼻に通したまま一晩を過ごした
	昨日の挿入は苦しかった

	 Kくんの指導でぐんぐんチューブを入れるのだが、どうしてもノドを通らない
	 吐くかと思った
	 いつのまにか目に涙がたまる
	 痛いのがいやなんじゃない 痛みなら耐えられる
	 しかし吐くのだけはいやだ
	 子供の頃のいやな思い出が脳裏を走る
	 怖い
	 
	  すべては生きるため
	  ただそれだけのために
	  
	 勇気を出して 背筋を伸ばして
	 今しかないのだから
	  ごくり
	 先端の重りが胃に落ちていく
	 チューブがどんどん吸い込まれていく

	エレンタールをお湯で溶かして滴下する
	300ccを3時間もかけて注入するのだ
	なぜそんなに時間をかけないといけないかというと
	ゲリしたりするからなのだそうだ
	鼻からノドを通って胃に冷たいものが流れていくのが分かる
	最初は体の向きを変えるたびにチューヴがノドの中を動いて
	位置によっては気持ち悪くてしょうがないことがあったが、
	今日になると大分慣れてしまった
	また鼻水が凄かった
	たえず髪の毛でコチョコチョされているようにくすぐったくて
	クシャミが何度もでた
	しかしチューヴは大丈夫だった
	セキもでたがやはり何ともなかった
	食事もED食といって油ぬきのものだったが美味しかった
	あとはチューヴを抜いて、もう一度入れられるかどうかだ
	それはまた明日

	となりのおじいさんが騒がしい
	昼夜を問わず騒々しい
	しかしなんとなく死んだおじいちゃんを思いだして懐かしい

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1993年3月6日

	夜の高層ビル群はスモッグでかすんで
	巨大なクリスマスツリーのように赤い標識灯を点滅させる

	母が来た
	父ではなく
	洗濯をし、買い物をしてくれ
	本をどっさり置いて帰った

	チューヴには慣れたが管の当たる鼻の穴が痛い
	6時間も注入に時間をとるのがまどろっこしく、どうにも納得がいかない
	600ccなんて、ジュースなら10分で飲めるのに

	時間はいくらでもあるのだが、あまり何もする気もせず
	ようやっと「ゲイトウェイ」を読み終えた
	他のクローン氏病患者は夜になると展望室に集まってくるのだが
	なかなか話ができない
	唯一、Kくんとだけ話す
	彼は三回腸閉塞になり腹に穴があいて手術したばかりだ
	食事も禁止で静脈からカロリーをとっている
	彼に聞いた話ではクローンで治った人間はいないとのことだ
	かなり調子の良い人はいるらしいが、その人は1日10パックも
	エレンタール(経管栄養)を注入して、食事はついきあい程度
	それで10年もった、とかいっていた

	何もかも他人ごとのような気がする
	自分はほんの一時だけ体験入院でもしているような気分だ
	一生こんなことをしなければ生きていけないなんて
	それが自分なんだって
	どうしても
	どうしても
	信じることができない

	 おれはお前たちの仲間なんかじゃない
	 あっちへいけ
	 必ず抜け出してやる
	 おれだけは
	 おれだけは

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1993年3月9日

	何でも日常になってしまうものだ
	病院生活もだいぶ慣れてしまった
	エレンタールさえなければここは天国なのに
	3度の食事の前にはお茶が出るし、すべてベッドまで運んできてくれる
	いつまで寝ていても怒られないし
	本を読んだり、テープを聴いたりする時間はいくらでもある

	鼻にチューヴを通したまま、一応食事はとれるのだが、
	飲み込むたびにつっかかる感じがして食べにくい
	エレンタールは1日に4パック、12時間にもわたって接続されていなくてはならない
	こんな状態で会社に行けるのだろうか
	会社というのは非情なところである

	今日はKくんとオセロをやったが負けた
	勝てるゲームだったのに1手ミスしたために総崩れになってしまった
	ちょっとくやしい
	しばらくこういう論理的思考をしていなかったので頭がボケてしまったのだろうか
	プログラムを組むようになればまた復活するだろうか

	クローン病患者とは他に2,3人と話した
	明るい話はない
	一人はぼくが小腸造影をしたときに一緒にいた人だった
	彼はその日に入院し、これから手術だということだ
	考えてみると患者の中ではぼくが一番軽いのかもしれない
	しかしそれは何ら安心感を与えるものではない
	彼らこそぼくの未来の姿かもしれないのだ


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1993年3月10日

	退院である
	といっても、治ったわけではない
	これからが問題なのである
	毎日エレンタール4パック
	徹底的に油と堅いものを省いた食事
	サラゾピリン
	続くか?
	今でもチューヴの挿入や抜くときに恐怖が伴う
	コンタクトレンズの洗浄や歯磨きでさえ面倒くさがるヒトが
	続くか?

	冗談じゃ無い!
	ぜったい治る治る治る治る治る治る治る
	全治した最初の人間になってやろうじゃないか

	 人生ゲームのすでに落伍者
	 運の悪かった男
	 劣性遺伝子のかたまり
	 淘汰されるべく生まれた、確率的な偏り

	試練ではないのか? そのはずでは・・?
	いつまで続くか終わりの見えない通過儀礼?
	これはむしろ悪意なのでは?

	先の分からないまま、ぼくは今日で22歳になる


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